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インターネットや人からの紹介など、わたし横田のことを「道明(どうみょう)さん」と呼ばれているのをお聞きなることがあると思いますが、本名は幹雄(みきお)横田幹雄(よこたみきお)です。
何故そのような名前で呼ばれるようになったかと申しますと、
この道明(どうみょう)という名前は、2006年秋頃から名乗り始めるようになった名前です。
ではせっかくなので、この名前を由来や意味のお話をさせていただきますと、
まずこの名前の由来ですが、私は漢文で有名な、かの老子に大きな影響を受けとても感動しました。
老子曰く
「道とは、人間が歩んでいくべき理想的な生き方」の事を指しています。
その理想的な生き方というのが「人間が社会の一員として、又指導者として、「仁」や「義」や「礼」などの基本的なものへの自覚と、更なる人格の錬磨」が必要不可欠であるといっています。
まさに、世の中を道徳をもって生きるということが「道」ということなのかもしれません。
そして老子曰く、「自ら知る者は明なり」といっています。
これは、人間誰しも弱いものであり、「己の心のうちこそ問題だ」といっているもので、いくら巨万の富を持っていたとしても、何も知らずむやみに求め続けるなら、そのものは貧しいという。
たとえ他人に勝ったところで、それがその人の強さの証明をするのではなく、真に強いという人は己を知り、自身に勝つことだ」と老子は言っています。
わたしは、この「道」と「明」二つの言葉から、これからの自分の志としようと決め、これからの名前にしようと決めたのです。
これまで私が社会に出てから二十余年、ざまな仕事と様ざまな経験・体験をしてきましたが、いまは豊かな心を養い人と共に生きるための人間力をアップさせる人間力向上プロモーターの仕事を生涯の天職と感じているのです。
したがって、この老子の言う「人としての歩むべき【道】」と「他人に勝つのではなく自分に勝つ【明】」の言葉の意味の深さを大切にし、わたし自身が現在の天職を通して、『出会う方々の人生という道を、明るく照らす存在でありたい』とも思っています。
何故、「みちあき」と呼ばないかについては、
ありふれている(ミチアキさんごめんなさいm(_ _)m)ということと、同姓同名の方も結構いらっしゃるので、差別化するためにあえてインパクトのある読み方をするようにしました。
このようなことから、2006年秋以降に出会った方々やクライアントさん、私の教え子からは、「どうみょうさん」と呼ばれるようになったのです。
そこで、本当はNPOの役員もこの名前で貫きたかったとこなんですが、以前に「お坊さんみたい!」といわれたことがあり、それ以来はNPO活動の時はあえて本名を使うようにしたのです。
長々と書きましたが、意味が分っていただければ幸いです。
また、できれば気軽に道明(どうみょう)さんと呼んでくださればとても嬉しいです。
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